最もバスケに影響を与えた選手 3位 マジック・ジョンソン

3.マジック・ジョンソン

影響:

アービン”マジック”ジョンソンとラリー・バード—それは啀(いが)み合った2人のライバルとして、後には親しき戦友として、他の誰よりも現代NBAに不朽の影響をもたらしました。


しばしば「彼らがNBAを救った」なんてことも言われます。


「ショウタイム・レイカーズ」のリーダーとしてジョンソンは5つのチャンピオンシップを獲得し、誰もが認める「NBAの顔」となりました。


当時は前代未聞だった6フィート9(205cm)の長身ポイントガードから繰り出される見事なパスにNBAファンは魅了され、幾度となく唸りました。


そして今、彼はヤングコアやレブロンジェームズを筆頭とした、まったく新しいレイカー・ジェネレーションを「球団会長」として結実させるべく奮起しているのです。

ジョンソンが50歳になったとき、J・アダンデは彼が及ぼした影響の真髄をこう述べました。


「1991年11月7日、ジョンソンがHIV(エイズ)の陽性であると発表した、その記者会見から18年の時が流れた。当時0歳だった子供はもう成人しています。
あの当時、我々は彼が50歳はおろか、40歳まで生きながらえられるとさえ思っていませんでした。しかし科学は社会を先取りしていたのです。それは「プロテアーゼ阻害剤と抗レトロウイルス療法によって生成される”カクテル”薬 」による治療の新時代の、まだまだ黎明期でした。私は、当時HIV陽性の親友が、死を受け入れ、残された人生で何をすべきかを考え、マインドセットを完全に入れ替えなければならなかった痛ましい現実を覚えています。
ジョンソンは、そういった現実と向き合うことはありませんでした。
彼は最初から、持てる限りの薬、食事、尽くせる限りの運動をもって『病気を克服する』と誓ったのです。
彼はエイズに屈しなかったのです。

いろんな意味で、彼がエイズと戦い、学んだ功績は、それまでに勝ちとった5つのNBAチャンピオンシップやNCAAチャンピオンよりも大きなものでした。オリンピックでは 金メダルを取り、国中の恵まれない都市部に映画館やレストランを開き、育ちゆく我が子を見守り、ロサンゼルス・レイカーズの株式を買収し、トークショーを主催するという彼の夢をかなえても、です。
NBAは今、彼の影響下における第二次世代に突入しました。マジックを見て育ったプレーヤーを見て育ったプレーヤー、当時24歳だったトレバー・アリーザはジョンソンについてこう語りました 。


「バロン(マジック)は自身をとても誇りに思っている。そして俺もバロンを尊敬している。」

マジック・ジョンソンの全盛期に彼のプレーの思い出がない人がいるなら、真にそれを見て育った世代にとっては考えられないことでしょう。しかし ジョンソンにとってそれはある種の安堵であり、飽くなき挑戦の原動力、そして彼を不死に最も近い存在に至らしめるのです。