最もバスケに影響を与えた選手 8位 ジュリアス・アービング

8.ジュリアス・アービング

影響:

元祖アービング。こんな言い方をしたら本人に怒られるでしょうか。

ドクターJの異名で知られるジュリアス・アービングは、その独創性、大きな手、滞空時間、優雅さを織り交ぜ、次世代に向けてバスケットボールにおける芸術的な可能性を示し合わせることによって「NBAスタイル」というものの基盤を作りました。


しかり、ドクターJが彼のハイライトダンクや、クールな人間性、ボリューミーなアフロ、そして20年近くABAとNBAを支えてきた才能で賞賛されている限りは、彼の真価である、実際のゲームでのプレーはまだ過小評価されているとも言えます。


16回のオールスター出場を果たしているドクターJことジュリアスアービングですが、彼の引退時、この世に生まれてさえいなかったファンたちにも彼の存在が認識されているというのは、冷静に考えればとんでもないことですよね。

ドクターJに関しては一つ有名なエピソードがあります。それは、誰もが知るNBAのスーパースター、レブロン・ジェームズとドクターJの関係性。

実はレブロンがキャブスからヒートに移籍した時、背番号を23から6に変えましたが、この理由には諸説ありますが、はっきりと一つだけ、レブロンの口から明言されている事実があります。

「ドクターJへのリスペクトを込めて背番号を6にするよ。」

現代のスターからも尊敬し、敬愛されていたことが伺えますよね。


でもこれを見るともっと驚きますよ。

ドクターJは30000得点以上、10000リバウンド以上、そして5000アシスト以上を記録しています。これはあのレブロン・ジェームズですら成し遂げてない偉業なのです(2019年2月3日現在)。

逆に言えばこういったオールラウンドなプレースタイルが、レブロンをして憧れさせたのかもしれませんね。

ではオフボールのドクターJはというと、それはある種、敵からすればテロリストのようなもので、キャリアで2000スティールを奪い、さらに2000ブロックを記録したのでした。


こういったオールラウンドに渡る彼の熟練したスキルがなければ、ひょっとしたら彼はその見た目からサーカスの団員として記憶されたかもしれません。(笑)


確かに、1976年、選手たちを途方に暮れさせたドクターのしなやかなフィンガーロール、軽々とやってのける「ゆりかご」ダンク、そしてフリースローラインから急上昇するレーンアップ等には正当な評価を下すべきですし、感謝しなければなりません。


しかし、「形式」だけが4つのMVPと3つのチャンピオンシップをもたらしてくれるわけではありません。


ドクターにはゲームがありました。


彼はコート上で、戦い続けていたのです。