最もバスケに影響を与えた選手 12位 コービー・ブライアント

2019年2月16日


12.コービーブライアント

影響:
コービーブライアントはマイケルジョーダンの軌跡を追い求めていた、というのは有名な話ですが、彼もまた、一匹オオカミであり、輝かしく目覚ましい才能によって自分の道を開拓し続け、何千万もの熱狂的なファンを獲得した人物そのものなのです。

コービーが1996年にNBAにエントリーするという意思を表明した時、「時期尚早ではないか」「まだ荒削りではないか」などの不安の声も相次ぎましたが
レイカーズがトレードによりコービーを獲得した時、すでにスターダムへの道は開け始めていたのです。


その時はすぐにやってきました。
彼はレイカーズでスターターの座を勝ち取るより先に、オールスターファン投票でオールスタースターターに抜擢されたのです。


最年少オールスタースターターとしての記録は未だ破られておりません。彼は若手選手ながら、自己中心的なプレーで迷惑な伝統主義者を黙らせるだけの技量がありました。
のちに「ヒーローボール」と呼ばれるレイカーズの有名なゲームスタイルです。


しかしながらコービーがスーパースターの階段を駆け上がり、シャキール・オニールフィル・ジャクソンと共存して成功をつかむまでの道のりは決して簡単なものではありませんでした。


2003年、コロラド州にてコービーは性的暴行の疑いで訴えられてしまいます。
その起訴は原告側の証言が不十分なものであるとして最終的に取り下げられ、コービーが謝罪するという形で双方は和解しました。


この時あたりから、コービーはただのクラッチシューターとしてだけではなく、気骨のある熱烈なプレーヤーとしての名声を高めていくことになります。


クエンティン・タランティーノの「キル・ビル」という映画からインスパイアされ自信を「ブラック・マンバ」と呼んだことからも彼の人間味が伺えますね。


言い方を変えれば、こういった彼の側面がシャキール・オニールとの確執を生み出し、最終的にシャックがマイアミへトレードされるという形で、コービーはレイカーズの唯一の顔となったのです。


2007年、レイカーズが優勝争いできるチームを作り上げることに失敗したオフのことでした。
コービーは声を荒げ、十分な戦力を獲得できないなら自信をトレードするよう要求。


しかし2008年にポー・ガソルを獲得したレイカーズは2009年、2010年と優勝を経験すると一変し、コービーは生涯レイカー宣言をするまでに至らしめたのです。


コービーは狂信的な信者を生み出すようになりました。
レイカーズというチームよりも彼自身、彼のシューズ、彼のジャージーを追い求めたのです。
そしてこれらの熱狂的ファンの団結は、アメリカ国内で文化、国籍の壁を超え、世界へも広がり、それはとりわけ、中国で根強く見られるものでした。
彼の20年間のキャリアの中で、コービーのゲームが進化し、彼がゲームの細部まで熟達、精通していくにつれ、彼はNBAの歴史上最も熟練したプレーヤーの一人になったのです。


しかし、数多くの功績がある中でも一番褒め称えられるべきは彼のその人間性、求心力のあるカリスマ性なのでしょう。

ラモナ・シェルバーンはこう語ります。
「コービーはバスケットボールへの飽くなき追求のために全てを捧げた。友達、家族、体、アイデンティティ、そして人間そのものをだ。彼のキャリア全ては、「すべてを捧げた」「他に何も求めなかった」という事実の上に築かれているのだ」と。


コービーはアキレス腱を切ったとき、トレーナーのゲイリー・ヴィッティの目を見てこう言いました。


「俺はまだプレーできるよ」


彼は右手の回旋腱板を損傷した時も、左手でシュートを打ち続けようとしました。
ヴィッティとレイカーズコーチのバイロンスコットはコービーをゲームから引っ張り出さなければならなかったのです。コーチ陣がなぜそんなことをするんだ!と聞くとコービーは不貞腐れてそうにこう言いました。


「なぜって?神が手を2本与えたからさ」